ランダ司教は焚書の数年後、『ユカタン事物記』という本を書いている。マヤの文化を記録するなかで、現地の人にスペイン語のアルファベットを見せ、「これに当たるマヤ文字を書いてくれ」と頼んだ。焼いた張本人が、「スペイン語の文字」と「マヤの文字」の対応表まで残していたのだ。とんだ置き土産である。
ところが、この対応表は約400年ものあいだ誰にも使いこなせなかった。ランダ司教はマヤ文字をアルファベットと同じ仕組みだと思い込んでいた。たとえばスペイン語の「B(ベ)」を見せると、マヤの書記は「ベ」という音節を表す記号を書いた。ランダ司教は「B」の文字だと受け取ったが、実際には「be」という音のかたまりだった。この食い違いのせいで、対応表をそのまま読んでも意味不明になるわけだ。
この壁を突破したのが、ソ連の言語学者ユーリ・クノロゾフ氏である。冷戦の真っ只中、中南米への渡航を禁じられていたクノロゾフ氏は、写本の写真コピーだけを頼りに研究を続けた。そして1952年、30歳のとき、「ランダ司教の対応表はアルファベットではなく音節を表している」と見抜いた。400年分の誤解が解けた瞬間である。なお、氏は論文に飼い猫のアシャを共著者として載せようとしたが、編集者に毎回削除されたという。
直接の関係はないが、ランダ司教が残した対応表は、暗号解読でいう「既知平文攻撃」と構造が似ている。意味のわかる文と暗号文を並べて見比べれば、暗号の法則が浮かび上がる。ランダ司教の対応表も、スペイン語とマヤ文字が横に並んでいた——見比べる材料だけは400年前から揃っていたのだ。ただしランダ司教の場合、本人が仕組みを取り違えていたせいで、対応表は400年間ただの紙切れだった。なんとも気の長い話だ。読み方を変えた者が現れて、ようやく鍵になった。
本を灰にした手と、答えを記した手は、同じ手だったのである。